妖精はいたか?
山盛りで「いた」と言っておこう。どうも変な夢ばかりを見たからだ。それはいいとして、一番遭遇する確率の高い妖精はレプラホーン。靴屋の妖精。お金をためたつぼを持っていてこのレプラホーンを捕まえるとお金持ちになれるらしい。リムリックからキラーニーにかけての道路のどこかで「レプラホーンが横切ってますよ」と書かれた標識があるらしい。家の庭を垣間見てもどうも妖精用に作られたとしか思えない小さめの椅子が庭に置いてあったり、売られている妖精の人形の顔がリアルだったり、妖精と同居していそうな雰囲気があったことは確か。
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アイリッシュハープ タラのブローチ シャムロック
この3つを押さえれば「アイルランドに行って来ました」といえる。(と私は思っている)
アイリッシュハープは小型のハープで持ち運びができる大きさ。アイルランド人の魂の象徴。アイルランドに住むケルト人をゲール人という。ゲール人が話す言葉がゲール語。今もアイルランドの西部で使われている。紀元前2 世紀から3世紀にアイルランドへ渡ってきたゲール人は文字を持たなかった。霊的な指導者ドルイド僧が文字の使用を禁止し、口碑伝承の教えを説いたからとのこと。で民族の歴史や物語をあちこちに伝え歩いた役目を果たしたのが吟遊詩人で昔から詩人の地位は非常に高かった。学校に入って歴史法律言語文法などを学ばないと職業的な詩人にはなれなかった。ときは14世紀。ノルマン人が侵入し、この吟遊詩人を迫害し、ハープの使用を禁止する、などといった弾圧があり、アイリッシュハープは反発したアイルランド人の抵抗のシンボルとなった。有名なハープはアイルランド人の英雄ブライアンボルーのハープでトリニティカレッジにあるのだそう。レーガン大統領はこのブライアンボルーの子孫だそうで、立ち寄ったレストランに写真が飾ってあった。
今でも街の通りや観光地の人通りの多い場所でこのハープを弾いて歌を歌っていたりする。繊細な音が聞こえる。またあちらこちらで、街灯の飾りの意匠などとして金色のアイリッシュハープが見られる。昔の吟遊詩人が使ったとのこと。この吟遊詩人、今もいるらしい。アイリッシュパブに来て歌を歌ったりするらしい。
タラのブローチ
タラというのはケルト人の王様の名前。転じてその王様がいた場所が聖地となった。アイルランド人の魂の故郷。ダブリンの北西60 キロにある。「風と共に去りぬ」のスカーレットの家のあった場所がアメリカの南部のタラ。というのもお父さんがアイルランド移民だった。お父さんジェラルドオハラは成功してお金持ちの娘であったスカーレットのお母さんと結婚してスカーレットが生まれた。で、家を建てた場所にお父さんは故郷を思ってタラと名前をつけたというのがいきさつである。アイリッシュの血が濃く現れているスカーレットがなにか打ちひしがれる事のあるたびに立ち直ろうとして叫ぶ言葉「タラへ帰ろう」はつまり「アイリッシュとしての心のふるさとへ帰ろう」という意味。スカーレットがどうあっても生まれ故郷のあった南部のタラを守ろうとした理由がわかる。
タラのブローチは僧衣などのマントをとめるために作られたブローチ。あちこちのお店でこの形をとったブローチが売られている。気に入ったものがあったら買おう。
シャムロック
三つ葉のクローバー。アイルランドにいると聖パトリックの話を何度も聞く。聖パトリックとはアイルランドにキリスト教を広めたアイルランドの守護聖人。父と子と精霊の三位一体をタラ王に説明するのに使ったのがこのシャムロック。三つ葉の一枚が父、一枚が子(つまりキリスト)一枚が精霊であるがもとはこのように1ヶ所でつながっていると説明したのだそう。転じてアイルランドの国花になっている。どんなクローバーだったかは18世紀頃からいろいろ調べられているらしいが、どうもよく分からなかった。そんじゅそこらのクローバーではないらしい。種が売っていたので買ってきた。今育てている。
アイリッシュハープは小型のハープで持ち運びができる大きさ。アイルランド人の魂の象徴。アイルランドに住むケルト人をゲール人という。ゲール人が話す言葉がゲール語。今もアイルランドの西部で使われている。紀元前2 世紀から3世紀にアイルランドへ渡ってきたゲール人は文字を持たなかった。霊的な指導者ドルイド僧が文字の使用を禁止し、口碑伝承の教えを説いたからとのこと。で民族の歴史や物語をあちこちに伝え歩いた役目を果たしたのが吟遊詩人で昔から詩人の地位は非常に高かった。学校に入って歴史法律言語文法などを学ばないと職業的な詩人にはなれなかった。ときは14世紀。ノルマン人が侵入し、この吟遊詩人を迫害し、ハープの使用を禁止する、などといった弾圧があり、アイリッシュハープは反発したアイルランド人の抵抗のシンボルとなった。有名なハープはアイルランド人の英雄ブライアンボルーのハープでトリニティカレッジにあるのだそう。レーガン大統領はこのブライアンボルーの子孫だそうで、立ち寄ったレストランに写真が飾ってあった。
今でも街の通りや観光地の人通りの多い場所でこのハープを弾いて歌を歌っていたりする。繊細な音が聞こえる。またあちらこちらで、街灯の飾りの意匠などとして金色のアイリッシュハープが見られる。昔の吟遊詩人が使ったとのこと。この吟遊詩人、今もいるらしい。アイリッシュパブに来て歌を歌ったりするらしい。
タラのブローチ
タラというのはケルト人の王様の名前。転じてその王様がいた場所が聖地となった。アイルランド人の魂の故郷。ダブリンの北西60 キロにある。「風と共に去りぬ」のスカーレットの家のあった場所がアメリカの南部のタラ。というのもお父さんがアイルランド移民だった。お父さんジェラルドオハラは成功してお金持ちの娘であったスカーレットのお母さんと結婚してスカーレットが生まれた。で、家を建てた場所にお父さんは故郷を思ってタラと名前をつけたというのがいきさつである。アイリッシュの血が濃く現れているスカーレットがなにか打ちひしがれる事のあるたびに立ち直ろうとして叫ぶ言葉「タラへ帰ろう」はつまり「アイリッシュとしての心のふるさとへ帰ろう」という意味。スカーレットがどうあっても生まれ故郷のあった南部のタラを守ろうとした理由がわかる。
タラのブローチは僧衣などのマントをとめるために作られたブローチ。あちこちのお店でこの形をとったブローチが売られている。気に入ったものがあったら買おう。
シャムロック
三つ葉のクローバー。アイルランドにいると聖パトリックの話を何度も聞く。聖パトリックとはアイルランドにキリスト教を広めたアイルランドの守護聖人。父と子と精霊の三位一体をタラ王に説明するのに使ったのがこのシャムロック。三つ葉の一枚が父、一枚が子(つまりキリスト)一枚が精霊であるがもとはこのように1ヶ所でつながっていると説明したのだそう。転じてアイルランドの国花になっている。どんなクローバーだったかは18世紀頃からいろいろ調べられているらしいが、どうもよく分からなかった。そんじゅそこらのクローバーではないらしい。種が売っていたので買ってきた。今育てている。
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アイルランドの城 (=゚ω゚)ノ
アイルランドの城を今回見たが、「戦闘用の城だなぁ」というイメージを持った。
日本では、城はというと、どう考えても戦闘用である。
戦国時代を描いた映画を見ても、とにかく戦闘時に立てこもり、攻めてくる敵と戦うために作られている。大きな城門は敵が入らないために作るものだし、
その上には敵に矢を射掛けるやぐらがある。内部には食料庫があって必要とあれば何年でも篭城し敵が去るまで粘るための建物。だから城主にとって城は最後の砦であり滅ぶときは城と共になどというシーンをよく見る。
ヨーロッパでも役目は同じであるがどうも内部の装飾が煌びやかな城ばかりを見ているのでヨーロッパの城のイメージはというと、社交の場であり、陰謀の場であり、富を顕示する場というイメージが大きい。
アイルランドの城を今回見たが、「戦闘用の城だなぁ」というイメージを持った。入り口がまず小さい。人が一人くらいしか入れない大きさである。高さもそれほどない。階段が作り付けになっていて2 階から入るようになっている。ということは階段を外せば敵も入りにくくなるのだろう。窓も小さいから外から矢でも鉄砲でも外からは打ちにくい。その横に大砲をかまえているだろう砲台が見える。しかも壁は厚手の石造りになっているので大砲の砲撃にも耐えるだろう。内部の階段も人一人通れる狭さだ。だから敵が内部に入ったとしても階段で食いとめるようになっている。
一番ショックだったのは最上階へ向かう階段で、本当に狭い。幅が40cm ほど。子供しか通れない。というのも子供が逃げ込む様になっていて大人が上れないようになっている。一番上の部屋は子供の避難用の隠し部屋である。この細い階段を使って子供を上に逃し蓋をしてしまえば上に何があるかわからない。何かあったときはとにかく子供だけは助けようという仕組みになっている。農家の家も同じ作りで屋根裏部屋に子供部屋が作られていて階段を外せば登れなくなっている。1番に狙われたのが子供だったんだなぁと思う。戦に負けて子供が引きずり出されたのが目に見えるようだった。
日本では、城はというと、どう考えても戦闘用である。
戦国時代を描いた映画を見ても、とにかく戦闘時に立てこもり、攻めてくる敵と戦うために作られている。大きな城門は敵が入らないために作るものだし、
その上には敵に矢を射掛けるやぐらがある。内部には食料庫があって必要とあれば何年でも篭城し敵が去るまで粘るための建物。だから城主にとって城は最後の砦であり滅ぶときは城と共になどというシーンをよく見る。
ヨーロッパでも役目は同じであるがどうも内部の装飾が煌びやかな城ばかりを見ているのでヨーロッパの城のイメージはというと、社交の場であり、陰謀の場であり、富を顕示する場というイメージが大きい。
アイルランドの城を今回見たが、「戦闘用の城だなぁ」というイメージを持った。入り口がまず小さい。人が一人くらいしか入れない大きさである。高さもそれほどない。階段が作り付けになっていて2 階から入るようになっている。ということは階段を外せば敵も入りにくくなるのだろう。窓も小さいから外から矢でも鉄砲でも外からは打ちにくい。その横に大砲をかまえているだろう砲台が見える。しかも壁は厚手の石造りになっているので大砲の砲撃にも耐えるだろう。内部の階段も人一人通れる狭さだ。だから敵が内部に入ったとしても階段で食いとめるようになっている。
一番ショックだったのは最上階へ向かう階段で、本当に狭い。幅が40cm ほど。子供しか通れない。というのも子供が逃げ込む様になっていて大人が上れないようになっている。一番上の部屋は子供の避難用の隠し部屋である。この細い階段を使って子供を上に逃し蓋をしてしまえば上に何があるかわからない。何かあったときはとにかく子供だけは助けようという仕組みになっている。農家の家も同じ作りで屋根裏部屋に子供部屋が作られていて階段を外せば登れなくなっている。1番に狙われたのが子供だったんだなぁと思う。戦に負けて子供が引きずり出されたのが目に見えるようだった。
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アイリッシュブレックファースト
イングリッシュブレックファーストが有名であるがアイリッシュブレックファーストも同じようにボリュームのある品揃えが並ぶ。
コンチネンタルブレックファーストだと朝はコーヒーとパンだけであるが、イギリスのイングリッシュブレックファーストと同じようにアイリッシュブレックファーストもたっぷりとした朝ご飯となる。
アイルランドにいる限り朝食が物足りないという事はない。
何が並ぶのかというと、パンはトースト用の食パン、またはサワーの入った黒いパン、胡桃の入った丸いパン。紅茶またはコーヒー。
オレンジジュースもつく。たまごはスクランブルか目玉焼き、あるいはオムレツ。
それに焼いたベーコンかソーセージ。
コーンフレークかオートミール、ヨーグルトにカットフルーツもつく。
更にアイリッシュブレックファーストにはブラックプティング、ホワイトプティングと呼ばれるブタの血の入ったソーセージがつきもの。
どんなものかというと、バイキング形式で取る朝食だったら、卵のコーナーなどで冷めない様に下から温めているコーナーがあると思う。
そこでプレートの上に直径5cmくらいの大きさの薄く切った丸いソーセージみたいなものがあったらそれである。
フライパンでカリカリに焼いたものが出されている。色が白っぽいものと茶色っぽいものがある。
味は?サラミのようなソーセージのような。
朝からたくさん食べて一日の仕事を乗り切ろうという習慣からこんなに食べるようになったとのこと。
お昼はその分軽めだとか。
ちなみにスコッティッシュブレックファーストというのもあってこれも同じようにボリュームたっぷりだそう。
コンチネンタルブレックファーストだと朝はコーヒーとパンだけであるが、イギリスのイングリッシュブレックファーストと同じようにアイリッシュブレックファーストもたっぷりとした朝ご飯となる。
アイルランドにいる限り朝食が物足りないという事はない。
何が並ぶのかというと、パンはトースト用の食パン、またはサワーの入った黒いパン、胡桃の入った丸いパン。紅茶またはコーヒー。
オレンジジュースもつく。たまごはスクランブルか目玉焼き、あるいはオムレツ。
それに焼いたベーコンかソーセージ。
コーンフレークかオートミール、ヨーグルトにカットフルーツもつく。
更にアイリッシュブレックファーストにはブラックプティング、ホワイトプティングと呼ばれるブタの血の入ったソーセージがつきもの。
どんなものかというと、バイキング形式で取る朝食だったら、卵のコーナーなどで冷めない様に下から温めているコーナーがあると思う。
そこでプレートの上に直径5cmくらいの大きさの薄く切った丸いソーセージみたいなものがあったらそれである。
フライパンでカリカリに焼いたものが出されている。色が白っぽいものと茶色っぽいものがある。
味は?サラミのようなソーセージのような。
朝からたくさん食べて一日の仕事を乗り切ろうという習慣からこんなに食べるようになったとのこと。
お昼はその分軽めだとか。
ちなみにスコッティッシュブレックファーストというのもあってこれも同じようにボリュームたっぷりだそう。
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アランセーターの故郷アラン諸島
ここに行くのが今回の旅の目的だった。アランセーターの故郷ということでアラン島と言ってはいるが正式には「アラン諸島」で大中小の3 つの島からなっている。ただアラン島というとアイルランドの北のほうにある島になってしまう。アラン諸島では一番大きい島がイニシュモア島で、現地の言葉、今も使われている言葉ゲール語で「大きい島」を意味する。隣がイニシュマーン島で「真ん中の島」、一番東側にある一番小さい島がイニシィア島で「東の島」となる。このイニシィア島は、有名なモハ−の断崖から見ることができる。
前の晩は対岸の町であるゴルウェイに泊り翌朝9:15の船でアラン諸島で一番大きい島イニシュモアへ行くことになった。フェリーはロッサビールという町から出ている。ゴルウェイからバスで50分ほど。朝にバスに乗り込みまずはロッサビールを目指す。
ゴルウェイの町から遠ざかるほど、道の両側はごつごつとした岩がちになり、ときおり民家が見える。あのトレリスと呼ばれるアランセーターの意匠にもなった石の囲い込みが増えてきた。何重にもこの石の囲い込みが組まれていて、ときおり民家が見える。ほとんどは近代的なアイルランドでよく見られる、白い壁にグレーの屋根の石造りの家であるが、ときおりわらぶき屋根の古いタイプの家も見られる。
トレリスとはアランセーターの袖に編み混まれている、ダイヤモンドを2つ並べて縦にいくつも繰り返す編みこみのこと。
アイルランドの西側はかなり風が強い。アイルランドが大西洋に浮かんでいる島なので大西洋から直接風を受けている。しかも石ばかりの土地のため、植物を育てる土がとても貴重となる。トレリスは石を積み上げて囲い込みを作り中の土が風で吹き飛ばされない様にという工夫である。中はというと緑の牧草が生えていて、牛や馬が飼われている。
セーターの模様としては、このトレリス以外にも「生命の木」「ジグザグ」「蜂の巣」「ブラックベリー」「ケーブル」「バスケット」「ダイヤモンド」「アイリッシュモス」「リンク」などが使われている。今自分たちが着ているセーターにもよく使われている模様で、一つ一つに意味がある。「ダイヤモンド」ならば「海や大地からの贈り物」、「ブラックベリー」ならば「三位一体」、「リンク」ならば「島を離れた者との永遠のつながり」。この模様の組み合わせが編む家によって違う。アランセーターは漁師が着ていたもの。昔はあまり脂を抜かない毛糸で編まれていたので冷たい雨風にもよく耐えた。そしてたとえ海で命を落としてその遺体が上がったとしても家ごとに模様が決まっていたので奥さんは誰の遺体かを見分ける事ができたのだそう。
バスは一本道をジェットコースターの様に飛ばし、両側に民家もトレリスもなくなり、キンポウゲやワタスゲの生えた湿地や沼地が道の両側を囲んでくる様になる頃にロッサビールにつく。天気はころころと変わり、晴れていたかと思うと次には雨交まじりの横殴りの風が吹き付けた。ロッサビールの港には駐車場と平屋の建物があり平屋の建物でフェリーのチケットを手に入れる。チケットは使いまわしの水色のカードで往復となり、帰りに返却しなければいけない。フェリーは4隻停泊していた。名前は、Aranseabird、Aranflyer、Aranexpress、Drayochtnafarraige。みな白地に青の近代船で、司馬遼太郎が乗ったという「アランのバラ」はなかった。
きっかりにフェリーが出るということはなく天候次第、多少の遅れはしかたないとのこと。
10 時にフェリーは出航した。船は満員である。天候は少し回復したが沖に出るとかなり揺れはじめた。あの「白い馬」と呼ばれる波頭が見えた。かなり波が高い。それでも雲の切れ間からこぼれた日の光が海の1ヶ所にさしこみぽっかりと丸い陽だまりを作っている。それは海の上の、あちらに現れ、こちらに現れ、雲がかなりの速さで走っているのがわかる。ときおり船の上空にもその陽だまりが現れその度に船の中が明るくなるが、そんなものに気をとられている人はいない。船の中はワールドカップ一色だった。衛星中継で画像の悪い(船の中だからだと思う)映像がブラジル対トルコ戦を伝えていた。この映像は地球を半周して伝わってきている。世界の果ての島に来たのだと思っていたがそうではないらしい。
11時30分に島へ到着した。飛行機が飛び立っている。白い小型飛行機で島に滞在中に何回か飛んでいるのを見た。
アラン諸島は年間およそ25 万人の観光客がある。ほとんどは夏のシーズン中の観光客で冬の間の暇なシーズンに島の女性たちがせっせと編むのがアランセーターである。冬の間、アラン諸島はどうしているかというと、ゴルウェイのほうへみんなまとめて巻き戻されるのだそう。何をやるのかというと専門の人がやってきて、巻き戻された島々を点検し、金槌で削ったり、ノコギリで切り崩し、あのアラン島独特のごつごつとした岩肌を作り直す。つまり冬の間に来年のシーズンに向けてのメンテナンスをしているのだとか。ここいらでは有名なジョーク。
アラン諸島については司馬遼太郎の「街道を行く31」に詳しい。岩だらけの島に石わくのトレリスを幾重にも作り、作物を育てる土を大事に集めた話が書いてある。
司馬遼太郎がアラン諸島を目指した季節は4月。今回行ったのは一年で一番良い季節の6月。書いてあるイメージはちょっと暗いが季節が違うとけっこう違う。でも大西洋からの強い風も石わくも岩だらけの島の風景も必ず体験できる。
見所のドンエンガス、これは古代遺跡で断崖の上に築かれた円形の石の要塞。2000 年前に作られたそう。エンガスさんは伝説の人。昔の政治宗教の中心地だったのだそう。AD800年ごろに最盛期を迎えたが、1000年前に断崖が崩れてしまい、要塞が半分になってしまった。だから今見に行くと円形を半分に切った形の石組みが残っている。残る半分はというと崖に飲みこまれたわけで、要塞を飲みこんだ断崖を覗きこむ事ができる。高さにして90m。手すりもなにもない。断崖を覗こうと思ったら、這いつくばって崖に近づき、首だけ出して下を見るようにする。お仲間がいたら足首を持っていてもらうと良いかもしれない。断崖の上なので風がかなり強い。気をつけて行こう。
「アラン諸島に来たなぁ」と思う方法?ドンエンガスの砦の裏の草地に寝転んでみよう。草地は斜面になっている。斜面の下のほうにイニシュモア島のごつごつとした岩の広がっている風景の向こうにゴルウェイ湾を見ることができる。ドンエンガスの向こうの大西洋を見ても良い。
なお、このドンエンガスは近くのキルマヴィー村から歩かなければいけない。およそ20分、しかも岩だらけの登り道である。ちゃんとした歩きやすい靴でないと登れない。
フェリー乗り場からキルマヴィー村まではバスで連れて来てくれる(ちゃんと交渉してね。全部英語だけれど)。自転車で来ても大丈夫。自転車で走っている人がけっこういた。でも途中の道もかなり上りくだりがあるので、ドンエンガスの見学に1時間として、往復の時間や帰りのフェリーの時間を考えて行動したほうが良いと思う。
セーターはあちこちで売っている。色は有名な白のほかにグリーン、青、赤、こげ茶。セーターだけでなくフードのついたもの、カーディガン、子供向けのもの。本来のアランセーターは白ではなく色の濃いものだったそう。値段は60ユーロくらいから。良いものは150ユーロとか。だいたい60ユーロ以上であれば本物だそうで、たまに粗悪品が混じっているので、背中の網目もきちんとしているか確認してから購入とのこと。フェリー乗り場の近くのお店だとカード払いもOK。
前の晩は対岸の町であるゴルウェイに泊り翌朝9:15の船でアラン諸島で一番大きい島イニシュモアへ行くことになった。フェリーはロッサビールという町から出ている。ゴルウェイからバスで50分ほど。朝にバスに乗り込みまずはロッサビールを目指す。
ゴルウェイの町から遠ざかるほど、道の両側はごつごつとした岩がちになり、ときおり民家が見える。あのトレリスと呼ばれるアランセーターの意匠にもなった石の囲い込みが増えてきた。何重にもこの石の囲い込みが組まれていて、ときおり民家が見える。ほとんどは近代的なアイルランドでよく見られる、白い壁にグレーの屋根の石造りの家であるが、ときおりわらぶき屋根の古いタイプの家も見られる。
トレリスとはアランセーターの袖に編み混まれている、ダイヤモンドを2つ並べて縦にいくつも繰り返す編みこみのこと。
アイルランドの西側はかなり風が強い。アイルランドが大西洋に浮かんでいる島なので大西洋から直接風を受けている。しかも石ばかりの土地のため、植物を育てる土がとても貴重となる。トレリスは石を積み上げて囲い込みを作り中の土が風で吹き飛ばされない様にという工夫である。中はというと緑の牧草が生えていて、牛や馬が飼われている。
セーターの模様としては、このトレリス以外にも「生命の木」「ジグザグ」「蜂の巣」「ブラックベリー」「ケーブル」「バスケット」「ダイヤモンド」「アイリッシュモス」「リンク」などが使われている。今自分たちが着ているセーターにもよく使われている模様で、一つ一つに意味がある。「ダイヤモンド」ならば「海や大地からの贈り物」、「ブラックベリー」ならば「三位一体」、「リンク」ならば「島を離れた者との永遠のつながり」。この模様の組み合わせが編む家によって違う。アランセーターは漁師が着ていたもの。昔はあまり脂を抜かない毛糸で編まれていたので冷たい雨風にもよく耐えた。そしてたとえ海で命を落としてその遺体が上がったとしても家ごとに模様が決まっていたので奥さんは誰の遺体かを見分ける事ができたのだそう。
バスは一本道をジェットコースターの様に飛ばし、両側に民家もトレリスもなくなり、キンポウゲやワタスゲの生えた湿地や沼地が道の両側を囲んでくる様になる頃にロッサビールにつく。天気はころころと変わり、晴れていたかと思うと次には雨交まじりの横殴りの風が吹き付けた。ロッサビールの港には駐車場と平屋の建物があり平屋の建物でフェリーのチケットを手に入れる。チケットは使いまわしの水色のカードで往復となり、帰りに返却しなければいけない。フェリーは4隻停泊していた。名前は、Aranseabird、Aranflyer、Aranexpress、Drayochtnafarraige。みな白地に青の近代船で、司馬遼太郎が乗ったという「アランのバラ」はなかった。
きっかりにフェリーが出るということはなく天候次第、多少の遅れはしかたないとのこと。
10 時にフェリーは出航した。船は満員である。天候は少し回復したが沖に出るとかなり揺れはじめた。あの「白い馬」と呼ばれる波頭が見えた。かなり波が高い。それでも雲の切れ間からこぼれた日の光が海の1ヶ所にさしこみぽっかりと丸い陽だまりを作っている。それは海の上の、あちらに現れ、こちらに現れ、雲がかなりの速さで走っているのがわかる。ときおり船の上空にもその陽だまりが現れその度に船の中が明るくなるが、そんなものに気をとられている人はいない。船の中はワールドカップ一色だった。衛星中継で画像の悪い(船の中だからだと思う)映像がブラジル対トルコ戦を伝えていた。この映像は地球を半周して伝わってきている。世界の果ての島に来たのだと思っていたがそうではないらしい。
11時30分に島へ到着した。飛行機が飛び立っている。白い小型飛行機で島に滞在中に何回か飛んでいるのを見た。
アラン諸島は年間およそ25 万人の観光客がある。ほとんどは夏のシーズン中の観光客で冬の間の暇なシーズンに島の女性たちがせっせと編むのがアランセーターである。冬の間、アラン諸島はどうしているかというと、ゴルウェイのほうへみんなまとめて巻き戻されるのだそう。何をやるのかというと専門の人がやってきて、巻き戻された島々を点検し、金槌で削ったり、ノコギリで切り崩し、あのアラン島独特のごつごつとした岩肌を作り直す。つまり冬の間に来年のシーズンに向けてのメンテナンスをしているのだとか。ここいらでは有名なジョーク。
アラン諸島については司馬遼太郎の「街道を行く31」に詳しい。岩だらけの島に石わくのトレリスを幾重にも作り、作物を育てる土を大事に集めた話が書いてある。
司馬遼太郎がアラン諸島を目指した季節は4月。今回行ったのは一年で一番良い季節の6月。書いてあるイメージはちょっと暗いが季節が違うとけっこう違う。でも大西洋からの強い風も石わくも岩だらけの島の風景も必ず体験できる。
見所のドンエンガス、これは古代遺跡で断崖の上に築かれた円形の石の要塞。2000 年前に作られたそう。エンガスさんは伝説の人。昔の政治宗教の中心地だったのだそう。AD800年ごろに最盛期を迎えたが、1000年前に断崖が崩れてしまい、要塞が半分になってしまった。だから今見に行くと円形を半分に切った形の石組みが残っている。残る半分はというと崖に飲みこまれたわけで、要塞を飲みこんだ断崖を覗きこむ事ができる。高さにして90m。手すりもなにもない。断崖を覗こうと思ったら、這いつくばって崖に近づき、首だけ出して下を見るようにする。お仲間がいたら足首を持っていてもらうと良いかもしれない。断崖の上なので風がかなり強い。気をつけて行こう。
「アラン諸島に来たなぁ」と思う方法?ドンエンガスの砦の裏の草地に寝転んでみよう。草地は斜面になっている。斜面の下のほうにイニシュモア島のごつごつとした岩の広がっている風景の向こうにゴルウェイ湾を見ることができる。ドンエンガスの向こうの大西洋を見ても良い。
なお、このドンエンガスは近くのキルマヴィー村から歩かなければいけない。およそ20分、しかも岩だらけの登り道である。ちゃんとした歩きやすい靴でないと登れない。
フェリー乗り場からキルマヴィー村まではバスで連れて来てくれる(ちゃんと交渉してね。全部英語だけれど)。自転車で来ても大丈夫。自転車で走っている人がけっこういた。でも途中の道もかなり上りくだりがあるので、ドンエンガスの見学に1時間として、往復の時間や帰りのフェリーの時間を考えて行動したほうが良いと思う。
セーターはあちこちで売っている。色は有名な白のほかにグリーン、青、赤、こげ茶。セーターだけでなくフードのついたもの、カーディガン、子供向けのもの。本来のアランセーターは白ではなく色の濃いものだったそう。値段は60ユーロくらいから。良いものは150ユーロとか。だいたい60ユーロ以上であれば本物だそうで、たまに粗悪品が混じっているので、背中の網目もきちんとしているか確認してから購入とのこと。フェリー乗り場の近くのお店だとカード払いもOK。
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| 日記
アイリッシュ海とエンヤの家
アイルランドの首都ダブリンを目指すにはまずロンドンへ行く。
ここで入国審査をうけしばらくの待ち時間の後、ダブリン行きの飛行機に乗る。
飛行機に乗って窓の外を見ているとしばらくして南側に大きなV字型の河口が見えてくる。
よく晴れているのでよく見える。
緑色の大地の真ん中を銀色に光っている大きな川が流れていて、その先にVの字に口をあけた河口が見える。
これがセヴァン川の河口でその先がブリストル海峡であり、今飛行機がミッドランドの上空にいるのだとわかる。
この先がウエールズである。
ウエールズには今もケルト人が住んでいる。
昔、アングロサクソンの子孫であるイギリス人たちは長い間ここの反乱に手を焼いていた。アングロサクソン人は昔ドイツあたりからイギリスに侵入した人たちで、もともと住んでいたケルト人たちを追い出して王国を作った。
だからケルト人とアングロサクソン人の間の抗争は長年続いていたわけで、イギリスの皇太子がなんでプリンスオブウエールズというのかというと相次ぐ反乱に根を上げたイギリス国王が「ここを次に治めるものをイギリスの皇太子とする」と言って皇太子はプリンスオブウエールズと呼ぶことにしたのだそうな。
どれだけ手を焼いたかがわかると思う。
ちなみに今のエリザベス女王が王女さまだった18歳の誕生日に父君から貰った犬が今も飼われているウエリッシュコーギーである。
どうしてこの犬を大事に育てるように18歳だった王女に言ったのかを考えると感慨深い。
この後の旅でイギリス人とケルト人であるアイルランド人の長い長い戦いの歴史を見ることになるから。
ダブリンとロンドンを結ぶ航空路線は年間百万人以上を運ぶ巨大な路線である。パリとロンドン、フランクフルトとロンドンを結ぶ路線とほぼ同じ利用客数である。
緑に覆われたウエールズの上空を過ぎるとようやくアイリッシュ海にでる。凪の様でよく晴れた空の下に波1 つない海が広がっていた。やがて雲が広がってきて「霧かな?」と思うような薄い雲の下に凪の海が見えるようになった。薄暗い雲の合間から入り江のような陸地が見えてきた。
目的地のダブリンに近づいてきたのだとわかる。ロンドンとダブリンの所要時間は1時間30分、お茶を飲んでいる間につく。この海が見える丘のどこかにあのエンヤの家があるそうな。
ここで入国審査をうけしばらくの待ち時間の後、ダブリン行きの飛行機に乗る。
飛行機に乗って窓の外を見ているとしばらくして南側に大きなV字型の河口が見えてくる。
よく晴れているのでよく見える。
緑色の大地の真ん中を銀色に光っている大きな川が流れていて、その先にVの字に口をあけた河口が見える。
これがセヴァン川の河口でその先がブリストル海峡であり、今飛行機がミッドランドの上空にいるのだとわかる。
この先がウエールズである。
ウエールズには今もケルト人が住んでいる。
昔、アングロサクソンの子孫であるイギリス人たちは長い間ここの反乱に手を焼いていた。アングロサクソン人は昔ドイツあたりからイギリスに侵入した人たちで、もともと住んでいたケルト人たちを追い出して王国を作った。
だからケルト人とアングロサクソン人の間の抗争は長年続いていたわけで、イギリスの皇太子がなんでプリンスオブウエールズというのかというと相次ぐ反乱に根を上げたイギリス国王が「ここを次に治めるものをイギリスの皇太子とする」と言って皇太子はプリンスオブウエールズと呼ぶことにしたのだそうな。
どれだけ手を焼いたかがわかると思う。
ちなみに今のエリザベス女王が王女さまだった18歳の誕生日に父君から貰った犬が今も飼われているウエリッシュコーギーである。
どうしてこの犬を大事に育てるように18歳だった王女に言ったのかを考えると感慨深い。
この後の旅でイギリス人とケルト人であるアイルランド人の長い長い戦いの歴史を見ることになるから。
ダブリンとロンドンを結ぶ航空路線は年間百万人以上を運ぶ巨大な路線である。パリとロンドン、フランクフルトとロンドンを結ぶ路線とほぼ同じ利用客数である。
緑に覆われたウエールズの上空を過ぎるとようやくアイリッシュ海にでる。凪の様でよく晴れた空の下に波1 つない海が広がっていた。やがて雲が広がってきて「霧かな?」と思うような薄い雲の下に凪の海が見えるようになった。薄暗い雲の合間から入り江のような陸地が見えてきた。
目的地のダブリンに近づいてきたのだとわかる。ロンドンとダブリンの所要時間は1時間30分、お茶を飲んでいる間につく。この海が見える丘のどこかにあのエンヤの家があるそうな。
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| アイルランド旅行記
ギネスビールを試飲
パイント。
めったに聞かない言葉であるが、アイルランドを旅すると毎日食事のたびに聞くことになる。ビールの量の単位でカップ一杯1 パイント2パイントと数える。日本でも英国風パブヘ出かけると聞くことができるらしい。パイントグラスというグラスにイギリスビールが入って出てくる。パイントグラスはジョッキと違って「取っ手」のないグラスであり、1パイント約570ml。けっこうたくさんの量である。多い人はハーフパイントと注文すれば良い。
アイルランドであるからアイルランドで作られているビールが出てくる。一番有名なのはギネスビールでギネスブックのギネスである。レストランで一番のお奨めの飲み物となる。どこのレストランでも置いてあり、アイルランドにいる間ずっと飲みつづける事になる。一パイントでは多いからハーフパイントで飲んでいたが、けっこう癖になるお味である。苦い、濃い茶色のスタウトビールであり、絹の様に細かい泡が上に乗っている。注ぐときにこの泡を注意深く作り出さなくてはいけないらしい。慣れてくるとこの泡がないとギネスではないと思うようになる。
映画「アンジェラの灰」だったか、もしかしたら他の映画かもしれない、忘れてしまったが主人公の父親が酒を飲むときに「ギネス一族を儲けさせる義務はないんだが」といいながらギネスビールを飲んでいた。それだけ生活の一部のギネスビールだと思う。ちなみにツアーではこの「アンジェラの灰」の舞台になったリムリックも通過した。ツアコンのお姉さんが「今バスの横に見えるパブがアンジェラの灰で呑んだくれのおとうさんが通い摘めたパブです」と叫んでいた。慌てて見たがきれいなしゃれたパブだった。あの悲惨なアパートも泥だらけの道も見えなかった。きれいな住みやすそうな町だった。「アンジェラの灰」は1930 年代の話しである。主人公はここの悲惨な生活に耐えられずアメリカへ行き作家として成功する。リムリックはアイルランドの西側、大西洋に面したシャノン川の河口にある。たくさんの人がここからアメリカを目指したらしい。今は全て過去の出来事になっていたが、唯一残っているのが、リムリックから出ていった人たちを見送る船着場である。そばのホテルの前には別れの辛さを表わして作ったモニュメントがあった。「ブロークンハート」というモニュメントで本当に心臓が壊れている。大動脈、右心房、左心房、心臓を取り囲んでいる細かい血管まで見える。かなり大きい。この心臓が壊れている。そして無造作にホテルの前に置いてある。リアルである。
ギネスビールはイギリスのビールと同じ製造行程で、日本やドイツのビールの下面発酵と違って上面発酵である。何が違うのかというと使っている酵母が違う。下面発酵は発酵の最後で酵母が下の方へ沈み、比較的低温で発酵する。ギネスビールを作り出す上面発酵は発酵中に酵母が上がってきて、比較的高温で発酵する。といってもさっぱりだと思うので、味がちょっと違う、あんまり冷やさないで飲むのがイギリス式のビールと覚えておけば良いと思う。けっこう、こくがあって慣れると美味しい。淡色のペールエールと濃い色のスタウトがあるがギネスはスタウトの中に入る。
ツアーでは当然のようにギネスビールの工場へつれて行かれ、20分ほどかけて製造過程を見学する。古いレンガ造りの工場の中には昔使っていたという発酵用の樽がある。大きさは4階建てのビルぐらい。下から仰ぐ様にして見上げた後に横に階段があってそこを上って行くと一番上で樽の中を見ることができる。内部には何も入っていない。この樽の大きさを見てくれというのだと思う。
工場はレンガ造りとは書いたが内部はもちろん近代的に造りかえられていて、エントランスは空調の効いた、写真パネルの張った広い部屋になっているし、その真ん中にしつらえられたSFに出てきそうなエレベーターにも乗せられる。カッコイイ制服に身を包んだお姉さんもいる。そして見学者はあちこちを引っ張りまわされ、ギネス一族の歴史と世界規模の販売量とビールの製造行程を頭に叩き込み、最後に試飲となる。
これにはルールがあって、工場の入り口で透明なプラスチック製のメダルのようなものを渡される。これは内部に泡のような空洞があって中に少量のギネスビールが入っている。「なんだろう?」と思うがこのメダルをなくしてはいけない。大事に握って製造工場を見学し、試飲コーナーへ持っていかなくてはいけない。そこでこのメダルを出すとめでたく1パイントのギネスビールが貰える。
試飲コーナーで注ぐ様子を観察したが、やっぱりこの泡を出すのに苦心していた。まずグラスのある一定の線までビールを注ぐ。そしてもう一度今度は泡を作りながらビールを注いでいた。だからこのビール一杯を注ぐのにけっこう時間がかかっている。味わって飲もう。
パイント一杯を美味しく飲んだ後は自由時間である。ほろ酔い加減で街を眺めても良い。試飲コーナーは工場の最上階にありガラス張りの展望室になっている。他の見学者のおじさんおばさんに混じってダブリンの街を眺めて酔いを覚ますのも楽しい。ギネスグッズを売っている販売店もある。ギネスの名前の入ったポロシャツやキャラクターもの、パイントグラスを飲みこんだダチョウの置物などが売っている。けっこう楽しいのでお土産にどうぞ。
めったに聞かない言葉であるが、アイルランドを旅すると毎日食事のたびに聞くことになる。ビールの量の単位でカップ一杯1 パイント2パイントと数える。日本でも英国風パブヘ出かけると聞くことができるらしい。パイントグラスというグラスにイギリスビールが入って出てくる。パイントグラスはジョッキと違って「取っ手」のないグラスであり、1パイント約570ml。けっこうたくさんの量である。多い人はハーフパイントと注文すれば良い。
アイルランドであるからアイルランドで作られているビールが出てくる。一番有名なのはギネスビールでギネスブックのギネスである。レストランで一番のお奨めの飲み物となる。どこのレストランでも置いてあり、アイルランドにいる間ずっと飲みつづける事になる。一パイントでは多いからハーフパイントで飲んでいたが、けっこう癖になるお味である。苦い、濃い茶色のスタウトビールであり、絹の様に細かい泡が上に乗っている。注ぐときにこの泡を注意深く作り出さなくてはいけないらしい。慣れてくるとこの泡がないとギネスではないと思うようになる。
映画「アンジェラの灰」だったか、もしかしたら他の映画かもしれない、忘れてしまったが主人公の父親が酒を飲むときに「ギネス一族を儲けさせる義務はないんだが」といいながらギネスビールを飲んでいた。それだけ生活の一部のギネスビールだと思う。ちなみにツアーではこの「アンジェラの灰」の舞台になったリムリックも通過した。ツアコンのお姉さんが「今バスの横に見えるパブがアンジェラの灰で呑んだくれのおとうさんが通い摘めたパブです」と叫んでいた。慌てて見たがきれいなしゃれたパブだった。あの悲惨なアパートも泥だらけの道も見えなかった。きれいな住みやすそうな町だった。「アンジェラの灰」は1930 年代の話しである。主人公はここの悲惨な生活に耐えられずアメリカへ行き作家として成功する。リムリックはアイルランドの西側、大西洋に面したシャノン川の河口にある。たくさんの人がここからアメリカを目指したらしい。今は全て過去の出来事になっていたが、唯一残っているのが、リムリックから出ていった人たちを見送る船着場である。そばのホテルの前には別れの辛さを表わして作ったモニュメントがあった。「ブロークンハート」というモニュメントで本当に心臓が壊れている。大動脈、右心房、左心房、心臓を取り囲んでいる細かい血管まで見える。かなり大きい。この心臓が壊れている。そして無造作にホテルの前に置いてある。リアルである。
ギネスビールはイギリスのビールと同じ製造行程で、日本やドイツのビールの下面発酵と違って上面発酵である。何が違うのかというと使っている酵母が違う。下面発酵は発酵の最後で酵母が下の方へ沈み、比較的低温で発酵する。ギネスビールを作り出す上面発酵は発酵中に酵母が上がってきて、比較的高温で発酵する。といってもさっぱりだと思うので、味がちょっと違う、あんまり冷やさないで飲むのがイギリス式のビールと覚えておけば良いと思う。けっこう、こくがあって慣れると美味しい。淡色のペールエールと濃い色のスタウトがあるがギネスはスタウトの中に入る。
ツアーでは当然のようにギネスビールの工場へつれて行かれ、20分ほどかけて製造過程を見学する。古いレンガ造りの工場の中には昔使っていたという発酵用の樽がある。大きさは4階建てのビルぐらい。下から仰ぐ様にして見上げた後に横に階段があってそこを上って行くと一番上で樽の中を見ることができる。内部には何も入っていない。この樽の大きさを見てくれというのだと思う。
工場はレンガ造りとは書いたが内部はもちろん近代的に造りかえられていて、エントランスは空調の効いた、写真パネルの張った広い部屋になっているし、その真ん中にしつらえられたSFに出てきそうなエレベーターにも乗せられる。カッコイイ制服に身を包んだお姉さんもいる。そして見学者はあちこちを引っ張りまわされ、ギネス一族の歴史と世界規模の販売量とビールの製造行程を頭に叩き込み、最後に試飲となる。
これにはルールがあって、工場の入り口で透明なプラスチック製のメダルのようなものを渡される。これは内部に泡のような空洞があって中に少量のギネスビールが入っている。「なんだろう?」と思うがこのメダルをなくしてはいけない。大事に握って製造工場を見学し、試飲コーナーへ持っていかなくてはいけない。そこでこのメダルを出すとめでたく1パイントのギネスビールが貰える。
試飲コーナーで注ぐ様子を観察したが、やっぱりこの泡を出すのに苦心していた。まずグラスのある一定の線までビールを注ぐ。そしてもう一度今度は泡を作りながらビールを注いでいた。だからこのビール一杯を注ぐのにけっこう時間がかかっている。味わって飲もう。
パイント一杯を美味しく飲んだ後は自由時間である。ほろ酔い加減で街を眺めても良い。試飲コーナーは工場の最上階にありガラス張りの展望室になっている。他の見学者のおじさんおばさんに混じってダブリンの街を眺めて酔いを覚ますのも楽しい。ギネスグッズを売っている販売店もある。ギネスの名前の入ったポロシャツやキャラクターもの、パイントグラスを飲みこんだダチョウの置物などが売っている。けっこう楽しいのでお土産にどうぞ。
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| 日記
ドラムリン
イギリス製の世界地図を持っている。イギリス製だから真ん中にあるのはイギリスである。イギリスを中心に右側にアジア、下にアフリカ、左側に南北アメリカが配置されている世界地図である。日本は一番右側、文字どおり極東にある。色も印刷もとてもきれいな地図なので気に入っているが、ヨーロッパ人から見れば日本ってやっぱ世界の果ての国なんだなと思う一枚である。端にある分当然形もゆがんでいるし、どう見ても朝鮮半島の延長の様に置かれている。大きさも小さい。だから、どうやっても目が行くのは大きなアフリカ大陸だし、南北アメリカだし、オーストラリアだし、中央アジアだし、極東のここに目をやってくれというのは至難の技かもしれないと思ってしまう一枚でもある。
この地図には海底の様子もこと細かく描いてある。大陸は緑地と砂漠地で表わされているが、大洋のほうも青の濃淡でその海底の様子が描かれている。日本海溝だの大西洋中央海嶺だの南オーストラリア海盆だのも一緒に楽しむ事ができるわけである。大陸棚の形もよく見ることができる。東シナ海やインドネシアの周辺は大陸棚で囲まれている。氷河期だった頃、海面は低かった。氷河として凍り付いていた分水が少なかったわけである。だから東シナ海もインドネシアの周りもその頃海面の上にあった。今大陸棚になっている部分が氷河期の頃は本当に大陸だったのである。かなり広い部分が今は海中に沈んでいるのだなとわかる。この薄い青に塗られている部分を大陸だったと考えれば一万年前の地形図も楽しめてしまえる優れものである。
そうやってイギリスやアイルランドの辺りを見てみると、バルト海も北海もイギリス海峡もアイルランドの西側かなりの部分を大陸棚に囲まれている事がわかる。と言うことはここいらは氷河期の頃大陸だったのかしらねと思う。あらら一万年前はヨーロッパ大陸は倍はあったのである。広かったのね。しかし、時は氷河期。氷河が大地を覆っていた。北欧からドイツ北部も氷河の下。イギリス北部とアイルランドも氷河の下であった。だから人が快適に住めたかというとヨーロッパに快適な気候を運んでいるメキシコ湾流もなかったろうからかなり寒かったと思う。
ヨーロッパはあちこちでこの氷河期の名残が見られる。北欧のフィヨルドやアルプスのホーン(あの尖った山々は氷河に削られてできたのだそうな)や氷河湖などなど。
アイルランドにもこの氷河の名残が見られる。ドラムリンという丘で、でき方とはというとまずモレーンというやつが氷河の作用でできなくてはいけない。氷河の侵食と運搬作用で末端や側方に堆積した砂礫がモレーンで、ドイツでよく見られるそうな。そしてこのモレーンが何度も氷河に侵食され、残った小丘がドラムリンである。ドラムリンという言葉からわかるようにドラム、太鼓みたいな形をしている。アイルランドではよく見られるタイプの丘でだいたい100−400mくらいの高さに太鼓のように盛りあがっている。これは山ではなく確かに丘なのである。日本だったら木で覆われているのだろうが、ほとんどは牧草地か剥き出しの岩山になっていて、日本の山のような急勾配を描くカーブではなく、なだらかな丘陵が延々と太鼓を並べたように続いている。けっこう大きい。日本の小山が3つか4つ並べて1つの丘にしたような、そんな丘がいくつもいくつも並んでいる。車で半日走ってもまだ続いていた事もある。こんな光景をアイルランドのあちこちで見ることができる。
コマネラ地方へ行くとこのドラムリンと泥炭地が見られる。泥炭は燃料になるので掘り出して細長く切って所々においてある。だいたい3m くらいの長さで太さは10cmくらい。これが10本くらい並べて所々においてある。乾燥させている。今も使われていて、城や古い農家の見学に行くと暖炉にくべられている。触ってみたが堅い土が固まった様なのだが匂いがあって元は植物だなというのがわかる。燃やすとちょっと独特の匂いがする。
この地図には海底の様子もこと細かく描いてある。大陸は緑地と砂漠地で表わされているが、大洋のほうも青の濃淡でその海底の様子が描かれている。日本海溝だの大西洋中央海嶺だの南オーストラリア海盆だのも一緒に楽しむ事ができるわけである。大陸棚の形もよく見ることができる。東シナ海やインドネシアの周辺は大陸棚で囲まれている。氷河期だった頃、海面は低かった。氷河として凍り付いていた分水が少なかったわけである。だから東シナ海もインドネシアの周りもその頃海面の上にあった。今大陸棚になっている部分が氷河期の頃は本当に大陸だったのである。かなり広い部分が今は海中に沈んでいるのだなとわかる。この薄い青に塗られている部分を大陸だったと考えれば一万年前の地形図も楽しめてしまえる優れものである。
そうやってイギリスやアイルランドの辺りを見てみると、バルト海も北海もイギリス海峡もアイルランドの西側かなりの部分を大陸棚に囲まれている事がわかる。と言うことはここいらは氷河期の頃大陸だったのかしらねと思う。あらら一万年前はヨーロッパ大陸は倍はあったのである。広かったのね。しかし、時は氷河期。氷河が大地を覆っていた。北欧からドイツ北部も氷河の下。イギリス北部とアイルランドも氷河の下であった。だから人が快適に住めたかというとヨーロッパに快適な気候を運んでいるメキシコ湾流もなかったろうからかなり寒かったと思う。
ヨーロッパはあちこちでこの氷河期の名残が見られる。北欧のフィヨルドやアルプスのホーン(あの尖った山々は氷河に削られてできたのだそうな)や氷河湖などなど。
アイルランドにもこの氷河の名残が見られる。ドラムリンという丘で、でき方とはというとまずモレーンというやつが氷河の作用でできなくてはいけない。氷河の侵食と運搬作用で末端や側方に堆積した砂礫がモレーンで、ドイツでよく見られるそうな。そしてこのモレーンが何度も氷河に侵食され、残った小丘がドラムリンである。ドラムリンという言葉からわかるようにドラム、太鼓みたいな形をしている。アイルランドではよく見られるタイプの丘でだいたい100−400mくらいの高さに太鼓のように盛りあがっている。これは山ではなく確かに丘なのである。日本だったら木で覆われているのだろうが、ほとんどは牧草地か剥き出しの岩山になっていて、日本の山のような急勾配を描くカーブではなく、なだらかな丘陵が延々と太鼓を並べたように続いている。けっこう大きい。日本の小山が3つか4つ並べて1つの丘にしたような、そんな丘がいくつもいくつも並んでいる。車で半日走ってもまだ続いていた事もある。こんな光景をアイルランドのあちこちで見ることができる。
コマネラ地方へ行くとこのドラムリンと泥炭地が見られる。泥炭は燃料になるので掘り出して細長く切って所々においてある。だいたい3m くらいの長さで太さは10cmくらい。これが10本くらい並べて所々においてある。乾燥させている。今も使われていて、城や古い農家の見学に行くと暖炉にくべられている。触ってみたが堅い土が固まった様なのだが匂いがあって元は植物だなというのがわかる。燃やすとちょっと独特の匂いがする。
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| アイルランド旅行記